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4歳児の交通事故体験談 もう恐怖の体験はしたくない

親から散々言われていたのに
私はおばあちゃん子で、祖母から交通事故の怖さについて、4歳ながらに教えられてものでした。

「車はこわい。気を付けるもの。」道を歩くとき、祖母から口癖のように毎日言われていました。

当時幼いながらも物心はっきりしている私は「わかっているわい。」という気持ちでした。

昔から私は乗り物に乗るのも、見るのも好きで、
今となっては恐ろしいことですが、
アイドリングで路側帯のところに停まっている大型トラックの下に入り、
応急用タイヤが備わっている部分から、エンジン部分を見たりするもの珍しい子供でした。

その時、大型トラックが私に気づかずに動いていたかと思うと今でもぞってする気持ちになります。

当然トラックの下をのぞきこんでいた私を発見した祖母は烈火のごとく私を叱りつけたものでした。

しかし、その時の私は4歳ということもあって、まだ本当の車の怖さは分かっていなかったのだろうと考えています。

とある日の昼間
そんなある日の昼間、私は家から道を挟んで向かいにある祖母が借りている畑に祖母と二人きりでいました。

祖母の畑仕事をずっと見ていた私。畑仕事に興味なんかなく、手持ちぶさたにうろうろしていました。

葉っぱを無意味にむしったり、土をいじったりして暇をつぶそうと考えましたが、
そんなことで暇がつぶれるわけでもなく、家もみちを挟んで向かい側なので帰ろうという気持ちになりました。

祖母は私の目をよそに畑仕事に精を出していました。私がこの後危険におかされることなど気づかずに。

もちろん私も気づいていませんでした。私は畑に備わっているブロックでできた小さな階段を4歳にとっては大股で降りました。

そして車道にでました。大人の足だったら、数秒もかからない時間で渡りきる道路ですが、3歳の私にとっては広く大通りを歩くようなものでした。

大人よりもそれは遅い足取りになります。そして歩いているうちに遠くから車の爆音が聞こえます。

マフラーを改造した車です。
その車の音は時間が経つにつれて私の耳に近くなりました。

そして、気付いた時には、目と鼻の先まで車が迫ってきていました。

事態を察知した私は走ろうにも時すでに遅し。
車の急ブレーキの音と「ドン!」という音とともに私は転んでしまいました。

痛みは後できました。
罰があたったのです。

「このばかたれが!」
その音を聞いた祖母は猛スピードで私のところに走ってきました。

車のブレーキをかけるのは早かったおかげで、私は転んで少し擦り傷を負っただけでした。

祖母は私を抱きしめ、次の瞬間、「バシッ!」頬をぶちました。
「このばかたれが!」そのあと懇々と説教されたのは言うまでもありません。

祖母は警察沙汰にもせず、相手の謝罪だけで済ませました。
今の時代ではありえないことですがね。

私はその時、交通事故の恐ろしさを実感しました。

言葉では聞いていたものの、いざ自分の不注意で車が猛スピードで向かってきたときはなすすべもありませんでした。

しかし、以前から祖母が口酸っぱくして言っていた「車はこわい。気を付けるもの。」という忠告を聞いていればこのようなことにはならなかったでしょう。

その時、改めて自分の命を守るために祖母が言ってくれた言葉であると気付きました。

それからというもの、私はトラックの下にもぐったりすることも、急に道に飛びだすこともなく、今もこうして生きることができています。

祖母のあの時の「バカタレが!」を心に刻みながら。